山口県柳井市・平生町・田布施町も配布対象になりました【山口営業所】

当社のポスティングサービスがさらに拡大しました!

お客様のニーズにお応えし、山口県柳井市、平生町、田布施町の地域にも配布サービスを開始しました。

これにより、地域の広告主様はより多くの方々にメッセージを届けることができるようになります。新たな配布エリアでのプロモーションをご検討の方は、ぜひ当社までお問い合わせください。

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地域の皆様に価値ある情報をお届けできることを心より楽しみにしております。

山口県柳井市ってこんな町

柳井市は山口県の南東部に位置し、沿岸部、内陸部、半島・島しょ部から成り立っています。総面積の半分以上が山地丘陵地で占められており、沿岸部一帯は北から南に向けて傾斜し、市街地はその南側の平坦部と海岸に形成されています。北部の内陸部には山稜に囲まれた盆地があり、農山村集落が点在しています。半島・島しょ部は急峻な丘陵地が入り組み、海岸線に変化に富んだ地形をなし、瀬戸内海国立公園に指定された自然景観を有しています。

柳井市の面積は約140.05平方キロメートルで、土地利用は山林が56.4%と最も多く、農用地が23.7%、宅地が6.7%を占めています。気候は瀬戸内海型で、冬も温暖で雨の少ない過ごしやすい気候です。沿岸部の年平均気温は15℃から16℃、山間部では14℃から15℃で、年間降雨量は約1,600mmから1,700mm程度です。

柳井市には縄文時代から人々の営みがあり、日本最大級の大鏡が出土した茶臼山古墳など多くの遺跡や史跡が残されています。また、大畠瀬戸は日本三大潮流のひとつで、万葉集にも登場しています。

中世には柳井津が瀬戸内の良港として海上交通の要衝となり、江戸時代には商都として繁栄しました。幕末・維新の時代には多くの志士が輩出され、明治期から戦後にかけても商業・卸売業や農漁業などが発展し、昭和30年代には金属・機械器具製造業などの都市型工業も定着しました。豊かな自然と恵まれた気候・風土のもとで、柳井市は産業と都市機能の充実を図りながら発展を遂げてきました。

山口県熊毛郡平生町ってこんな町

平生町(ひらおちょう)は、山口県の東南部に位置し、熊毛郡に所属しています。町は南北に約11km、東西に9kmにわたり、室津半島西側からの眺めは山口県屈指とされる瀬戸内海に面しています。町の地形は、箕山(標高400m)や大星山(標高438m)を中心とした丘陵地帯と平生平野からの平野部から成り立っており、佐合島も含まれています。また、平生湾とともに18.2kmにわたる海岸線があり、瀬戸内海国立公園の一部を形成しています。

現在の平生町の土地の多くは、毛利就頼が慶安三年(1650年)に熊毛郡宇佐木大野河添い沖の開発を決意し、奉行横道忠右衛門に設計と施工を命じて海を埋め立て、水田を開発したものです。町内には横道忠右衛門の墓があり、常春寺には彼が造った南蛮樋(水門)が残っています。これらの史跡は、町の歴史と文化を物語る重要な名所となっています。

山口県熊毛郡田布施町ってこんな町

田布施町(たぶせちょう)は、山口県の南東部に位置し、瀬戸内海に面した町です。町の規模は東西8km、南北15.2kmで、面積は約50.35平方kmです。町の北西部は山岳地帯であり、この地域には小河川が源を発し、合流して田布施川となり、中央部を流れて南部の瀬戸内海に注いでいます。

田布施町には、南部の瀬戸内海に位置する馬島という島があり、さらに北には田布施町飛地として小行司地区が存在します。

田布施町は、岸信介・佐藤栄作という両元総理大臣を生んだ宰相の郷としても知られています。また、田布施川の美しい桜や、瀬戸内海国立公園に属する馬島など、豊かな自然に恵まれた町でもあります。

上記以外の山口県の地域もご相談くださいませ。

記事監修者

株式会社ポッスル マーケティング部

K.T

株式会社ポッスル マーケティング部

K.T

某宅配ピザチェーンでのポスティングマーケティングを8年
毎月商圏エリアにて配布実績
ポスティングとは売上をあげるためのマーケティング方法の1つであり、自社の商圏範囲を明確化し分析・戦略立てにつなげることができます。

商圏範囲が分かることで、余分な広告費を抑える事もでき、また新規顧客の獲得にも繋がります。
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